読み解く技術を知ることにしたならば、まずは理論を知るとよい。自分のなかで曖昧模糊としたものが既に先人の手で開拓されたものと知るだろう。
そしてそれから、なるべくならばその手法を具体的に作品と照らし合わせて読むことだ。これは作品制作へと役立てられる。つまり、読む側の立場をよく理解すること。これは読者を想定するだけでなく、作品に客観性を持たせ、自分の作品がより洗練される。
そして最大の利点は作中へトリックを仕掛けられることだ。間テクスト性、開かれた終り、メタフィクション、異化、反復……こうした要素が作品を際立たせる。
以上が、良質な作品に触れることで私の得た知識である。私があくまで本質的に書き手ではないことを断っておきたい。
「*開かれた終り」に代表されるように、作品を読者の解釈に委ねる姿勢は実に結構だ。作品とは読者に伝達するものとは限らない。勿論、客観性を欠いた作品は作品としては十分ではないが、それは作者と作品の基準で決定される。
何故ならば、作者から読者へと伝達されるものは必ずしも一致せず、正しく伝わる必要は無いからだ。
作品とは作者の手を離れたテキストであるから、それをどう享受するかは読者次第である。つまりそれは結局のところ、読者に読み解く技術を要求することでもあるのだ。
*開かれた終り--明確な結末ではなく、読者の解釈に委ねる結末のこと。典型的な例は旧劇場版のエヴァンゲリオン。
私は基本的にJ-Popは聴かない。それに理由は特に無いし、ポリシーもない。しかし、カラオケでネタに困るときもあるので、たまにはこんな記事も書く。
J-Popの歌詞とブレヒト等の古典詩を比較し評価することはしない。それぞれの分野に長所がある。
鬼束ちひろ《月光》《流星群》
⇒某ドラマの主題歌として知った。他の鬼束音楽も聴く予定
高橋洋子《残酷な天使のテーゼ》《魂のルフラン》
⇒アニメソングだが、神秘的な歌詞のセンスは抜群。カラオケ機種には映像を伏せる機能はないのか?
鬼束とテーゼは歌詞の傾向が似ている気がする。双方とも独特の捉え難いイメージの詩だと思う。頭の固い私には到底作れそうにない詩。
BUMP OF CHIKIN《K》《レム》
ストーリー性のある歌詞。CDジャケットの自作の絵も和むし、BUMPは本当に趣味人だと思う。
J-Popに詳しい黒い稲妻さんに、ここに挙げた曲と似たような歌詞を作るアーティストを教えてもらおうかな……。