2025.05.06 Tuesday 12:21
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2009.03.10 Tuesday 06:05
マグマの展開するジャズ・ロックは多様な音楽ジャンルを参照した、けして他のアーティストの追随を許さない、マグマ独自の音楽哲学に基づいた芸術である呼べよう。
高度に抽象化されたメロディの織り成す世界観と、マグマが自らの楽曲のために考案した人工言語「コバイオ語」。マグマのなかにおいてヴォーカルとは枢軸ではなく他の楽器の一つとして調和されている。
私はマグマの楽曲にラヴェルの「ボレロ」を見出す。それは「流す」音楽ではなく「音が語る」音楽という意味だ。
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2009.03.10 Tuesday 05:50
英国シンフォニック・ロック・アーティスト、エマーソン・レイク&パーマーに「タルカス」という名曲がある(私のハンドルはこれに由来)。まず20分以上にも渡るクラシックを意識した長編組曲で、そのアルバムの歌詞と挿絵にひとつの物語が敷かれている。
それは「タルカス」と呼ばれる『ウルトラマン』に登場するような怪獣戦車が、立ちはだかる怪物を次から次へと打ち倒して行き、最終的には母なる海へと還る物語。これはまず曲そのものが先に完成されており、それから物語と「タルカス」という名前を授けたそうだ。
「タルカス」という呼称のセンス、クラシックに肉薄する技巧、重厚感あるメロディ。「タルカス」の極みはハモンドオルガンによるクラシックというコンセプトを完成させてしまったことにある。「SF」という分野が文学として認められたように、プログレが立派なクラシックに相当する古典楽曲であることは疑いえないだろう。
2009.03.08 Sunday 18:35
アメリカ文学者・巽孝之は、プログレッシヴ・ロックは「ポストモダン・クラシック」とも呼べると語る。確かにプログレはクラシックを思わせる組曲編成、前衛的なサウンド、他楽曲の引用で構成されている。十分に「ポストモダン」的で、形式自由・ジャンル横断の「キメラの音楽」である。ただ、その異種配合という手法は恣意性を含んでいるのは確かだ。
2009.03.05 Thursday 13:48
そもそも、自分がしたいことは「創作」「評論」のどちらなのか、と振り返る。
そして、今まで自分が書いてきた文章はもっと評論に近いものであった。それをここしばらく書き溜めて思ったのは、論理的であるよりもっと鋭敏な感覚にもとづいた文章が書きたいのではないだろうか。
ここで考えを変えてみる、「批評」はどうだろうか。
批評は創造的な言語芸術である、と私は思う。けしてゼロから作り出す他の芸術分野に劣ったものではなく、詩と並べて技巧(テクニック)を要し、読み解く努力を読者に求める。評論よりもセンスが問われる分野だ。
批評は立派な創作であることは過去の偉人が教えてくれている。
2009.03.02 Monday 15:40
たまには評論ばかりでなく小説執筆の話題もしたい。
私は、どちらかというと小説より脚本・劇台本の方が読んでいて楽しい。『ファウスト』のようなレーゼドラマ(※実際に上演しない読むためだけの劇台本)も気に入っている。もちろん、詩も好きだ。
むしろ私の頭の中では詩+小説=劇なのだ。詩を台詞にして物語という軸に配置していく。例えば、シェイクスピアなどは韻文を歌い上げるように台詞にしている(私は事実、台詞とシーンを先に考えた方が物語が浮かび易い)。
なおかつ物語は定番のスタイルを採っている方が安心して読める。例えば、『ファウスト』は悪魔と契約を果たし若返った魔術師の物語、『ハムレット』は父親を殺害された王子の復讐劇といったようにスタンダードなプロットである。
『フィネガンズ・ウェイク』(前衛小説の金字塔)は一見すると定番どころか、それと正反対の混沌とした小説(この作品は果たして小説なのかと私には決めかねるが)に思える。しかし、その内容をシンプルに要約することは実は可能である。あの作品は単純なものを複雑なものに展開しているだけなのだから。