「コッツェブーやイフラントの戯曲は、モティーフがじつに豊かなので、すべてが使いつくされてしまうまでには、ずい分長いこと摘み取らねばならないだろう」p158
「(大部分の若い詩人に)欠けているものは、客観的なものの中に素材を見出すことができない。自分に似た素材、自分の主観に適した素材を、見つけだすのが関の山だ。しかし、詩的であれば、素材それ自体のために、たとえ主観に反していようと、その素材をとにかく手がけてみようなどとは毛頭考えないありさまだ」p158
(エッカーマン著/山下肇訳『ゲーテとの対話(上)』岩波文庫より)
これは既存作品のアイディアを拝借するときの心得のようなものです。
要するに、昔から伝わっている由緒正しい題材を使い古されたものだと敬遠しないで書いてみましょう、ということだと思います。作品においても人生においても経験の浅い若い人に欠けた素質らしいです。
「自分に似た素材」「自分の主観に適した素材」。これは要するに自分が書きやすいだけの趣味に偏った題材を探し求めていると、一見オリジナルに近道のようですが、結果的には何かの二番煎じのような作品しか出来上がらず、むしろ名作・ビッグネームの作品を臆せず扱うと、それは自分の作品の資本になるということです。